
小学校の頃、地図帳を開いては「一戸」をスタートに
「何戸」位まであるのかと皆で順を追って探しあった事があったんだけど、
どうしても「四戸」だけが見つからなかったなぁ。
と云う様な「戸(He)」に関する思い出を抱いている方に朗報です。
→青森県庁ホームページ Aomori Prefectural Governmentより引用。
平安時代(へいあんじだい)後期に、現在の青森県東部から岩手県北部にかけて糠部郡(ぬかのぶぐん)がおかれたんだけど、そのとき、郡の中が9つの地区にわけられ、一戸から九戸まで、地名がつけられたんだ。だから、この「戸」は、「○○地区」や「○○地方」といった意味なんだよ。
お城があった三戸を中心に、東西南北の4つにわけ、さらに南を一戸、二戸、西を四戸、五戸、北を六戸、七戸、東を八戸、九戸としたんだ。
四戸という地名が消えたことについては、近くに集落(しゅうらく)がなくて使われなくなったのでは?などの話があるけれど、詳しいことはわかっていないんだ。
なんでも、鎌倉幕府を開いた源頼朝ちゃんが糖部郡に地頭を置いた際、
その中の一人である「南部氏」が郡を九つの「戸」に分けて、
各々に七つの村と一つの牧場を置いて東西南北に分属させたのが始まりだそうです。
その他にも、弘仁年間(810~824年)に文室綿麻呂と云う人物が蝦夷を平定した際、
残しておいた守備兵の駐屯地がそのまま村落に発展したと云う説もあり、
その根拠としては、一戸から七戸までほぼ一日の行程間隔に並んでいるからとの事。
詳細については以下のページに書かれているので、興味のある方はどぞ。
→戸の兄弟のまち
どちらにしても、ワタクシが個人的に気になっていたのは「四戸が無い理由」だったので、
> 詳しいことはわかっていないんだ(はぁと
と言われたからには、独断で「4と云う数字が縁起が悪い」を理由としてでっち上げてみようかと思います。
それではごきげんよう。


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