ビリヤードの歴史 |
私が以前読んだ資料を元にまとめて見たものです。 たまに読んでみると面白いかも。 注)説明文の横にあるイメージは特に意味はありません。このページ、イメージが無くて寂しかったんで・・・(^^; |
世界のビリヤード
ビリヤードの原形
ポケットとスヌーカー
日本のビリヤード
昔は象牙の玉が主流だった。
秘密の妙薬マジックパウダー
タップの発明
★世界のビリヤード
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ビリヤードはフランスが発祥の地とされていますが、
詳しい文献が無い為、いまだにその真実性は確証されていません。
しかし、14世紀にフランスから始まったと言う資料が多くあることから、
その説が今のところ有力になっています。
しかし、一説によると紀元前400年頃ギリシャで
ビリヤードの原型といわれる戸外で行うスポーツが行われていたらしく、
それが室内用としてテーブル方式へと進化していった、とも言われています。
14世紀頃からビリヤードはヨーロッパ全土で大流行していました。
フランスの歴代国王たちもビリヤードを楽しんだと言う記録もあり
ルイ11世はすでにビリヤードテーブルを持っていたと言われています。
その頃は貴族のスポーツと言うイメージが強かったそうです。
アメリカ合衆国に初めてビリヤードが伝わったのは、
1560年、スペインから伝わったと言われています。
また、もう一つの説で18世紀にイギリスの派遣守備隊が、
ニューヨークの集会所にビリヤードの器具を持ち込んだのが
始まりともいわれています。
従来まではポケットの無いキャロムゲームしか無かったのですが
ローテーションやナインボールと言われる
ポケットゲームの歴史はその頃から始まりました。
その後、ポケットゲームは1820年頃から大流行しました。
南北戦争で有名なリンカーン大統領もナインボールが大好きだったそうです。
さらに今まで三つ玉しかなかったキャロムゲームに
白玉をもう一つ加えたキャロム(四つ玉)が考案されたのもアメリカです。
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★ビリヤードの原形
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ビリヤードの原形と言われるものは現在から去る事
紀元前400年頃、ギリシャで興ったと言われています。
地上に丸い石(「KING」と呼ばれていた)を置いて、
「MACES」(メイス)と言う曲がった棒の一端を肩の上に乗せて、
他の一端を握って石を転がせるといった競技がありました。
未だその頃は室内ゲームではなく戸外で行われていた競技であったそうです。
現在の様な室内に移ったのは14~15世紀にかけてらしいですが
それについては様々な説があります。
まず、十字軍遠征によって東方からヨーロッパにもたらされて、
その後、スペイン若しくはイタリアで考案されたと言う「スペイン起源説」、
14世紀後半、イギリスの国技のクリケットを室内で行うようになった、
と言われている「イギリス起源説」、
その他にも様々な説がありますが、
一般には1571年、フランス宗教戦争の頃、チャールズ9世の王室芸術家であった
「ド・ビニー」と言う人物が考案、簡単な規則を作った、
と言うのが現在有力な説になっています(フランス起源説)。
その頃はまだ「ポケット」は存在しておらず、
一定の形をした枠のあるテーブルの上で、
玉と玉を当てて得点を競ってゆくだけのゲームでした。
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★ポケットとスヌーカー
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「ビリヤードの原形」で「ポケットは存在しなかった」とありましたが、
実際にはその頃イギリスでは、
台状に「アイアンアーチ」と言うアーチ状の関門を立てて、
それを潜らせて両端に開けられた穴に玉を入れる、
といったポケットゲームの原形たるものがありました。
18世紀になると、テーブルの上に穴を開けて、その中へ玉を落として
得点を競う形に改良されていきました。
最初は「アイアンアーチ」の様に潜らせたり、
テーブルの中央や四隅に穴を取り付けていましたが
テーブルの形が長方形で無ければいけない、と決められてからは
四隅と長クッションの中央部分に書く2つずつ、合わせて6個の穴が開けられ、
この穴の中に玉を落とす競技になった。
これが「ポケット」の原形です。
その後、アメリカに渡り玉に番号を付け始めたのがアメリカであり、
それを「ポケットゲーム」と呼ばれ始め、
イギリスでは、番号が無いポケット、
つまり「スヌーカーゲーム」と呼ばれるようになりました。
現在でも「スヌーカーゲーム」はイギリスで盛んに行われており、
その周辺の放送電波の届く地域では
日本のプロ野球並みにテレビ放送があるらしいです。
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★日本のビリヤード
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日本に初めて伝わったのは江戸時代、1850年頃(嘉永・安政年間)に
オランダ人によって長崎の出島に持ち込まれたのが始まりと言われています。
その後、1871年(明治4年)、東京に最初のビリヤード場が誕生しました。
しかし、当時は華族、陸・海軍の将官、
外務省の高官などの貴顕紳士だけの社交的競技でした。
大衆のスポーツとして流行しだしたのは大正時代に入った時の事で
昭和時代に入ると全国のビリヤード場は
約25000軒にも上りました。
太平洋戦争の頃は下火になりましたが、
戦後、アメリカ占領軍の手によって復活していきました。
そして、1955年(昭和30年)、
それまで適用を受けていた風俗営業等取締法から除外され
ビリヤードはスポーツとして法的に認められるようになりました。
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★昔は象牙の玉が主流だった。
最近のビリヤードのボールはプラスチック製のボールを使用していますが。
昔は高価な象牙が良いとされていました。
しかし、象牙自体の入手が難しくなったのと
使っているうちに少しずつ削れてってゆくので
常にボールを真球に保つ為に
1年に1、2回ほど球磨きの職人に高額な金を支払って磨いてもらっていました。
その為、ビリヤードはお金がかかるスポーツとして
一般大衆の間ではあまり普及しなかったと思われます。
また、象牙のボールは他にも欠点があり、
ボールの中心に必ずしも重心があるとは限らないので
ボールのスピードが弱まれば、本来進むべき方向から若干ずれてしまう、
と言う事も良くあったそうです。
今ではプラスチック製のボールも進歩してきたので
象牙のボールの性質とは全く変わらないらしいですが・・
世界選手権のアーティスティック(曲球)という競技では
未だ象牙のボールを使用しています。
それはかつて貴族のスポーツと言われた時代の
名残りなのでしょうか・・・・・・。
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★秘密の妙薬マジックパウダー
ビリヤードが発明されてから現在に至るまでに
ビリヤードで使用する器具もより良いものを求めて
新しく発明したり改良を重ねてきました。
特に何気なく使っているタップとチョークの発明は
ビリヤードの新時代をもたらす事になりました。
タップやチョークが発明される前のキューは先端を丸く削っただけのものであり
玉の中心以外を撞いてしまうと、滑ってしまう事がしばしばありました。
その為ヤスリ等でキュー先にギザギザをつけて滑り止めにしたりと
いろいろな対策を用いたりしましたが特に効果はありませんでした。
そこで、19世紀の初めにイギリスのジャック・カーと云う人物は
そういったミスを防ぐ為に、キュー先に白墨(はくぼく)の粉を塗る事を考えだしました。
これが現在のチョークと呼ばれるものです。
彼はその粉を
「キューの効果を最大限に発揮する事が出来る秘密の妙薬~マジック・パウダー~」
と名づけ、
その粉によってキュー先の滑りを防いだり、
それまでは不可能に近かった玉に前後左右の回転をかける事が
容易に出来るようになりました。
そして彼は、自ら玉にひねりを利かせて撞いて見せたり、
簡単な引き玉をやってみせたりして
ビリヤード界に一大センセーションが巻き起こりました。
ひねりの事を「イングリッシュ」と呼ぶようになったのはその為です。
ちなみにそのマジックパウダーが単なる白墨の粉だと解った頃には
少ないながらも財を残したそうです。
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★タップの発明
タップが発明されたのは
マジックパウダー(チョーク)が発明された約10年後の事です。
フランス人のマンゴーという人物が発明したそうです。
彼はキューの先端に弾力性のある物を取りつければ、
さらに回転を自在に操れるのではないかと考えました。
そこでキューの先端に革片を取り付け、その上にマジックパウダーを塗り、
玉を思う通りに回転させる事が可能となりました。
この結果、誰も知らなかった驚くべき玉の回転が可能となり、
チョークの発明以上のセンセーションを巻き起こす事になりました。
今までのキューは先の尖った棒で玉を押し出す域を出なかったのに対して、
回転を与え、逆に進ませたり、放物線を描いて進ませたり、と
玉の持つ特性を最大限に発揮できるようにしたのも
タップとチョークのお陰です。
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